マタイによる 福音書 17

「御言葉の力」   加藤秀久伝道師 皆さんにとってイエス様の言葉、聖書の言葉とは、どのようなものですか。私にとっては、時に厳しいと感じることもありますが、やはり優しく、温かいものであり、励まし、慰め、安らぎを与えて下さる言葉です。詩編107編では、私達の愚かさ(無知、背き、罪)は、時に肉体にまで及び、病を起こすと警告しています。しかし主の癒しの言葉が人々の萎えた心、病人の病を癒します。主の言葉は癒しをもたらすと約束されているのです。そして私達がこの驚くべき御業を喜び、主の慈しみと憐みに感謝して主を称えようと呼びかけます。私達が信じる御言葉には力があります。なぜなら、御言葉には癒しをもたらす力があるからです。本日の聖書は、カファルナウムの町で、一人の百人隊長がイエス様に助けを求めに来た時のことです。百人隊長は100人の兵士を統率するローマの将校で、彼は異邦人でした。ルカ福音書7章では、彼がユダヤ教の求道者であり、地域の人達のために会堂を建てるなど人格的に信頼されていたことが伝えられています。百人隊長はイエス様に近づいて「主よ、私の僕が中風で寝込んで、ひどく苦しんでいます。」と癒しを求めました。「中風」は、身体的な機能を麻痺させる脳の疾患で、動きが制限されて、人の手を借りなければならず、生きる意欲を無くしてしまうほどの病です。「ひどく苦しんでいる」とは身体上だけでなく精神的な苦しみも含まれていると考えられます。隊長は動けなくなった僕の為に、癒やされる道を探していたのでしょう。そしてイエス様の噂を聞き、自ら町へ出向き自分が異邦人であることを承知の上で、イエス様のもとを訪れたのだと思います。 イエス様は百人隊長の願いに「なぜでしょうか。百人隊長は何を考えていたのでしょうか。彼はユダヤ人が異邦人を「汚れた者」と考えていることを知っていました。そのため、イエス様を自宅の中にまで入っていただくことなど、とんでもないことだと思ったのでした。百人隊長は、権威ある者の言葉には人を従わせる力があることを承知していました。百人隊長自身も権威の下、命令には絶対服従であったのでしょう。そこで百人隊長は「ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」とイエス様に答えました。イエス様も権威のあるお方ですから「治れ」といえば、どんな病気でも治る。イエス様のお言葉さえあれば、すべてのものはそれに従う…ということをよく理解していました。「ひと言おっしゃってください」は、イエス様に対する絶対的な信仰によるものでした。この言葉を聞いてイエス様は「ユダヤ人の中でさえ、これほどの信仰を見たことがない」と感心されました。百人隊長の信仰は感嘆と賞賛に値するものでした。イエス様は百人長に「今日の詩編、20節に「イエス様が、確かに父なる神様からの力を持って地上で活動され、 2017.1.8~2018. マタイ福音書の「天国の鍵を与えられるペテロ」の場面を描いた『ペトロへの鍵の授与』(1481年~82年)は、「キリストの生涯の物語」の一部として礼拝堂の北壁面に描かれています。イエスから鍵を受け取るペトロと、それを囲む使徒、ソロモンの寺院などが描かれています。 キリスト教美術や建築に密接なつながりのある使徒「ペトロ」。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の正面には、大きな鍵を持つペトロ像が建っています。ペトロとは、どのような人物だったのでしょうか?この記事では、ペトロの生涯をエピソードをまじえて紹介します。あわせて、ペトロをモチーフとした絵画や、ゆかりの建築なども紹介します。目次サン・ピエトロ大聖堂前のペトロ像ペトロ(生年不明~67年頃)は、イエス・キリストの最初の弟子となった人物です。ガリラヤ湖で兄アンデレとともに漁をしているところを、イエスにスカウトされました。ペトロは、イエスを「神の子」であるとはっきり述べたことから、十二使徒の中で首位の座を得ます。ペトロはイエスに最も愛された弟子とも呼ばれます。イエスの死後は、エルサレムやパレスチナ各地で伝道を行い、ローマで殉教しました。ペトロのエピソードについてはのちほど詳しく紹介します。『マタイ福音書』に記されたイエスによるスカウトの場面は、キリスト教の信徒を集める伝道を「人間の漁」にたとえて、次のように記されています。イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。「さあ、ついて来なさい。人間の漁をする漁師にしてあげよう」と言われると、彼らはすぐに網をすててイエスに従った。初代ローマ教皇はペトロとみなされています。教皇の称号は3世紀から使われるようになりますが、それ以前の教皇についてはローマ司教に称号を与えた形になっています。なお、教皇とは、一般的にはカトリック教会のローマ司教を指し、キリスト教の最高位聖職者の称号でもあります。ローマ司教の権威は、ローマだけに及んでいたものがしだいに全教会に拡大しました。カトリック教会における教皇の権威の由来は、イエスがペトロにかけた次の言葉によります。あなたは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上で縛るものは天でも縛られ、あなたが地上で解くものは天でも解かれるだろう。 (マタイによる福音書16:18-19)ペトロはイエスから天国の鍵を授けられたため、大きな鍵を手にした姿で表現されます。この鍵は、人が天国へ入ることを許可する権限を表しています。「最後の審判」の絵画では、鍵を手にして天国に行く人々を導くペトロが描かれます。鍵がなくては天国が開かれないため、イエスによる救済の思想を根本とする教会において、ローマ教皇は特権を得ました。ローマ教皇が統治するバチカン市国の国章およびローマ教皇庁の紋章には、鍵の意匠があしらわれています。ペトロはラテン語で「Petrus」と書き、日本のカトリックでは「ペトロ」と表記されます。カトリックとプロテスタントの『新共同訳聖書』でも、「ペトロ」と表記されています。日本の聖書用語に影響を与えてきたプロテスタントの『文語訳聖書』では、「ペテロ」と訳されています。文学などにおける一般的な表記では、ペトロ、ペテロのどちらも用いられています。なお、ペテロの本名はシモンですが、イエスが与えた名前「ケファ(岩・石の意味)」のギリシャ語訳「ペトロス」からペテロと呼ばれるようになりました。サン・ピエトロ大聖堂内部イエスが捕らえられたとき、使徒たちは皆逃げ出しました。イエスに最も信頼されていたペテロも同様に逃げ出し、イエスのことを知らないと三度も否認します。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」とイエスが言った言葉を思い出し、涙します。「ペトロの否認」は絵画の主題としてもよく描かれます。イエス・キリストは磔刑ののちに洞窟墓に安置されますが、三日後に肉体を伴って復活します。イエスの復活の奇跡を目の当たりにして、ペテロら使徒たちは「神の子」イエス・キリストへの真の信仰に目覚め、世界中に伝道の旅に出ます。ペトロは使徒のリーダーとなってキリスト教会の基礎を築きました。イエスの処刑を機に、キリスト教徒は激しく弾圧されました。ペトロはキリスト教徒が迫害されていたローマに乗り込みますが、皇帝ネロに捕らえられ、逆さ磔になって殉教します。エウセビオスの『教会史』によれば、ペテロは自ら望んで逆さ十字架の受難を望んだといいます。ペトロの受難から、逆さの十字架は聖ペトロの十字とも呼ばれます。イエス・キリストが昇天したあとの、ペトロらの使徒たちの活動の様子は『新約聖書・使徒言行録』に記されています。ペトロが死人を蘇らせたり、ペトロとヨハネが足の不自由な人を立たせたことなど、奇跡も記されています。最後に、ペトロをモチーフとした芸術作品や、ゆかりの建築を紹介します。ぺルジーノ『ペトロへの鍵の授与』 システィーナ礼拝堂(バチカン)ラファエロの師であったピエトロ・ぺルジーノは、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画をボッティチェリなどとともに担当しました。マタイ福音書の「天国の鍵を与えられるペテロ」の場面を描いた『ペトロへの鍵の授与』(1481年~82年)は、「キリストの生涯の物語」の一部として礼拝堂の北壁面に描かれています。イエスから鍵を受け取るペトロと、それを囲む使徒、ソロモンの寺院などが描かれています。ミケランジェロ『聖ペテロの殉教』 パオリナ礼拝堂(バチカン)ペトロの逆さ十字架の殉教は絵画の主題として多く描かれました。ミケランジェロが最晩年に制作した『聖ペテロの殉教』(1546年 – 1550年頃)は、バチカンのパオリナ礼拝堂の壁画として描かれました。この礼拝堂は一般公開はされていないため、あまり知られていません。サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエットペトロが逆さ十字架の磔刑で殉教したと伝えられるローマのジャニコロの丘に、ペトロを祀るためのサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会が9世紀初頭に建てられました。その中庭には、ドナド・ブラマンテが設計したテンピエット(小さな寺院・礼拝堂)が1502年に建設されました。殉教の地は古くはサン・ピエトロ大聖堂の地下にあるネクロポリスだったとされましたが、のちにジャニコロの丘のこの地であるとの説も生まれました。テンピエットの地下に印があり、そこがペトロの殉教の場所だと説明されています。ブラマンテ設計のテンピエットは、古代ローマ建築を引用した、円や正方形などの幾何学形態の中心から周囲に広がる集中式プランによる端正な建築で、盛期ルネサンス建築の傑作とされます。この後に建てられたドーム建築の基本となりました。サン・ピエトロ大聖堂(バチカン)カトリック教会の総本山であるバチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」は、4世紀に建てられたペトロの墓所を祀る聖堂がその起源です。「サン・ピエトロ」とは「聖ペトロ」のイタリア語読みです。改築、改修を重ねて、1626年に現在の姿に完成されました。ドームの設計はミケランジェロによるもので、ブラマンテのテンピエットを参考にしたとされています。サン・ピエトロ大聖堂・ベルニーニの天蓋サン・ピエトロ大聖堂のドームの真下にある主祭壇を覆う天蓋は、バロックの巨匠ベルニーニが1624年から約10年をかけて制作しました。天蓋上部には、教皇の象徴である鍵や冠などを持つ天使が立ちます。天蓋が覆う主祭壇の地下には、ペトロの墓があります。ペトロ(ペテロ)は、イエスの・キリストの一番弟子となり、イエスの死後はリーダーとなってキリスト教を伝道し、教会の基礎を築きました。イエスから天国の鍵を与えられたことから、鍵を持つ姿で表されます。ペトロに次ぐ直弟子がヨハネです。ヨハネもイエスに声をかけられて弟子になった漁師でした。イエスの生涯における主要な場面である「イエスの変容」や受難の場面などには、ペトロとヨハネがともに登場します。キリスト教美術の主題に欠かせないペトロら使徒について、知識を持つことで身近に感じられるのではないでしょうか。©Copyright

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