ミュージックビデオ 歴史 日本


今回は、前2回に渡って記... txt:林永子 構成:編集部 txt:林永子構成:編集部日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子が、その歴史を振り返る。 日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子が、その歴史を振り返る。前回以前(Vol.06〜08)は、音楽や映像の視聴・制作環境のプラットフォームが移行する時代背景について、また新しい映像メディアが勃興した2007年ゴールデンエイジについて詳述した。今回は、その動向を踏まえたうえで、延長線上にある2008〜09年あたりのMVの代表作について記してみよう。携帯電話の「着うた」ダウンロード(以下:DL)数が、CDシングルの総売上を上回った2007年を経て、2008年も配信サービスが活性化。嵐やKAT-TUN、関ジャニ∞等、ジャニーズ事務所の所属タレントがチャートを席巻する一方で、CDシングルのミリオンヒットは現れず、配信のDL数および記録更新の話題が著しく目立った。シングル売上4位のGReeeeN「キセキ」(MV Dir:直)は、同年放映のドラマ「ROOKIES」の主題歌として人気を博し、その「着うたフル」は配信開始から29日という当時の最速記録で100万DLを突破。6位の青山テルマ feat.SoulJa「そばにいるね」(MV Dir:菊池久志)は史上初の200万DLを達成し、「日本で最も売れたダウンロード・シングル」としてギネス世界記録認定された。その後「キセキ」が230万DLを突破し、記録を更新した。配信に押されるシングルと比較して、アルバムの売上は好調。ベストアルバムを含めた3枚がそれぞれミリオンセラーを達成したEXILEは、同年の総売上第1位を獲得。安室奈美恵やB’zのベスト盤もミリオンヒットとなり、アルバムの商品価値と、最新曲を安価かつスピーディに入手できる配信データのそれぞれの良点が比較された。同年、ユニバーサル・ミュージックが公式YouTubeチャンネルを開設。その他の大手レコードレーベルも後に続き、それまでインターネット上での公の取り扱いがなかった邦楽MVが高画質で公開される機会が増えていく。同時に、MVの視聴環境がテレビモニターからPCや携帯電話へと移行することとなる。また、同年代はTwitterとFacebookの日本語版サービスも開始された頃とあり、YouTube等の動画共有メディアやSNSを利用した「バイラルCM」および「バイラルマーケティング」が流行。もっとも、音楽以外のバイラルCMはすでに流行しており、その日本の代表例である「Nike Cosplay」(秋葉原の街を大人数の戦隊「アキバマン」が席巻する)が公開され、国際的な評価を得たのが2006年の出来事である。とはいえ、既存のメディアの力は依然強く、インターネットを利用した広告は実験的であり、その効力を検証する段階にあった時代。2007年には、UNIQLOの商品キャンペーンサイトにて、時計機能を持つブログパーツ「UNIQLOCK」が登場。「MUSIC×DANCE×CLOCK」をテーマに、商品を着た女性達が時報の音楽(田中知之 Fantastic Plastic Machine)に合わせて踊るシリーズが展開された(Dir:児玉裕一)。日本の広告やMVには、世界に通じ難い日本語や国内向けマーケティングの壁がつきものだが、「UNIQLOCK」のダンス表現は言語理解を超える。そのワールドワイドなコミュニケーション能力および映像表現が国際的に評価され、2008年にはカンヌ国際広告祭のチタニウム部門とサイバー部門でグランプリを受賞。CLIO賞、One Showのインタラクティブ部門のグランプリも獲得し、世界三大広告祭を総なめにする快挙を成し遂げた。その面目躍如の活躍と同時期に、インターネット上でMVを扱う環境がようやく整い、YouTubeの再生回数の話題やSNSでの情報拡散を重要視する傾向が現れた。当時は「UNIQLOCK」同様ブログパーツが流行。最近は聞かなくなったが、木村カエラのMV(2007年「Samantha」(Dir:easeback & shashamin、「Yellow」(Dir:島田大介)、2008年「Jasper」(Dir:中村剛))等がブログパーツとしていち早く配信された事例がある。木村カエラといえば、2006年にはキットカットとミュージシャンのコラボレーション企画「CDパック」(商品にCDが同梱されている)に参加(他:175R、レミオロメン等)するなど、時節毎の新しい試みに積極的にトライしている。2008年は高画質動画共有サイト「eyeVio」と月刊「コマーシャル・フォト」「ビデオSALON」の提携による映像クリエイター発掘プロジェクト「eyeVio ミュージックビデオ トライアウト(eMVT)」に楽曲「ファミレド」を提供し、中村剛等とともに審査員も務めた。2008年は他にも、著作者の意思が反映された著作物の流通を促進する「クリエイティブ・コモンズ」が、国際会議「iCommons Summit」に合わせて「CC MUSIC VIDEO CONTEST 2008 音景」を開催。Cornelius(小山田圭吾)、大沢伸一、坂本龍一が楽曲提供をおこなっている。そのCorneliusは、2006年リリースのアルバム「SENSUOUS」収録曲を題材としたMVコンテストを2007年に開催。審査員は小山田圭吾と辻川幸一郎。全23作品の応募の中から最優秀賞を勝ちとったのは、Googleマップをいち早く取り入れた演出が評価されたMerceDeath + polo-Really「Remix 2.0」だ。翌2008年には同「SENSUOUS」収録曲のMVを、5.1chサラウンドミックス仕様で収録したDVD集「SENSURROUND」をリリース。いわゆるプロモーショナルユースではなく、音と映像によるひとつの作品としての独創性に惹き込まれるMVとして、国内外問わず多くの人々を魅了した。MVを活用した新しい試みが多く登場する中、前2007年に日本初のMV監督名義のMV作品集「Intoxicating Music Clips Of Ukawa Naohiro『Mad Hat Laughs!!!! 日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子がその歴史を振り返る。 ミュージックビデオ..日本ではプロモーションビデオ(プロモ)とかって呼ばれていますが、プロモーションビデオは机上の宣伝映像とかもプロモーションビデオと呼ぶので「ミュージックビデオ」もしくは「ビデオクリップ」というのが正式です。 ミュージック・ビデオの起源は現代のミュージック・ビデオは、ミュージック・ビデオの概念は一般にミュージック・ビデオにストーリー性を加味する物も多く、最も有名なものにミュージック・ビデオは、日本国内ではまた、日本におけるミュージック・ビデオの発展は、従来はプロモーションのみが目的であったので、PV(プロモーションビデオ)とよばれ、店頭での視聴や音楽番組(洋楽では『この頃にはすでにビデオデッキの普及が成されていたこともあり、パッケージ販売される機会も増加した。現在ではミュージック・ビデオで注目を集め、 [ Writer : 6月5日に発売となった香西かおりの最新シングル『口紅模様』ミュージックビデオのショートバージョンが公開された。この曲は、麻こよみ作詞、都志見隆作曲による作品で、紆余曲折あった自らの半生を振り返る、女性ならではの想いが詰まった、しっとりとした世界観が感じられる曲だ。新曲のミュージックビデオは東京都日野市の百草園で撮影された。百草園は、江戸時代から江戸近郊の名所として「江戸名所図会」などにも紹介されている歴史のある庭園。侘び寂びを体現する庵、趣き深い日本庭園、四季折々の草花。庭園の中に溢れる和の世界観は、香西の歌う世界観と不思議なくらい一致する。撮影は庭園の一部を貸切で行なわれたが、当日たまたま訪れた一般訪問客からも見える状態で、風景の中に艶やかな和服で佇む香西の姿に訪れた海外からの観光客も見とれていた。「多摩の街並みが見渡せる山の上にあるとても綺麗な場所で撮影できて楽しかったです。天候にも恵まれて、心が洗われた気分です。今度は50種500本が咲き誇るという梅の季節や紅葉の季節に来てみたいですね」と香西は語った。撮影は、大きなトンボが飛んできてキャーと驚く香西の声や、ホトトギスをはじめとした野鳥の声が聞こえる中、和気あいあいと行われた。その様子は、撮影オフショットとして、ユニバーサルミュージックのホームページでも公開されている。 日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子が、その歴史を振り返る。 日本におけるミュージックビデオ受容空間の生成過程 り、新曲が発売されると同時にMVも テレビやインターネットなどを通して放送されるという 状況は、現在ではもはや当たり前のものとなっている。 2019-06-28 掲載1998年の初冬、映像制作会社に入社したばかりの私は、国民的スターSPEEDのベストアルバム「MOMENT」のTV-SPOT撮影現場に紛れ込んでいた。それが、後に日本のミュージック・ビデオ(以下、MV)作品および作者について専門的に記録する「MVライター」となる私が、初めて足を踏み入れた音楽映像制作の現場だった。武蔵野美術大学の映像学科卒業ということもあり映像制作の工程については、一応の理解はある。しかしプロフェッショナルな現場を目の当たりにしたのは初めての体験で、その臨場感には圧倒されたものだ。以降も、様々な音楽映像の現場に出向き、限られた時間、予算、条件内で、期待以上の成果をあげるプロの仕事を目撃した。チームワークで作られていく作品の仕上がりはもちろん、きびきびと働くスタッフや、ディレクター以下各エキスパートが「現場で何をしているのか」、工程および人間たちの能力に強い好奇心を抱いた。数年後、私は「MVの現場で、誰が、何をしているのか」を専門的に記すライターとなった。思えば遠くへ来たものだ。気がついたら1998年から20年以上も経っていた。その間、私が超近視的に目撃し、体験してきた日本のMV史について、この場を借りて連載コラムとして記してみたい(全12回予定)。というのも、雑誌やムックのMV特集にて個別に日本のMVの歴史に触れることは折々あっても(例:「メディア芸術アーカイブス アート&エンターテインメントの15年史」(2012年発行 ビー・エヌ・エヌ新社) MV項を当方が執筆)、黎明期から現在までを包括的に網羅する記録は見当たらない。だから、書いてみようと思う。そもそも、MVライターになった動機のひとつが「記録者がいないから」だった。当時のMV界には制作当時者がいるのみで、音楽業界における音楽ライターや芸術界隈の評論家などその文化を専門的かつ客観的に記録したり、論じたりする第三者が不在だった。音楽やポップカルチャーに精通した識者によるMV論評や、広告専門誌での記事掲載はあっても、MVの制作現場で「誰が、何をしているのか」を明記する文書は希少だった。私自身、それを知りたかったし、あればMV界がより活性化すると考えた。「じゃあ、それ、私がやる」と勝手に名乗りを上げた。2002年、28歳の頃だった。その後、映像制作者同士が交流する場所や機会がない、情報交換をもっとした方がいいという意見を多くの映像制作者から聞き、「よし、やるか」と勢いでサロンイベント「スナック永子」を、体を張って開催(2005年~2013年 西麻布スーパーデラックスにて)。「ママ」と呼ばれ、日夜を疾走した。各レコード会社がYouTube公式チャンネルを開設する以前には、インターネット上での音楽権利の取り扱いへの懸念により、映像クリエイターが自ら手がけたMVを自らのHPに動画掲載できない状況に陥った。世界のデジタルフィルムフェスティバルで賞賛を浴びたMVも、インターネット上で閲覧できない。できた方がいい。「OK、やってみよう」というわけで、日本初監督別MVストリーミングサイト「TOKYO VIDEO MAGAZINE VIS」を株式会社ライトニング佐藤武司氏とともに開設。レコード会社の法務部とも有意義な議論をしつつ、約30名の監督のMV作品(45秒)を多数紹介した。あった方がいいのに、ない。だから、作る。と書くといかにも簡単だが、0から1を生む活動には多大なる労力が要る。多くの方々のご協力にも恵まれたおかげで、日本の素晴らしい映像文化を応援させていただく様々な機会を得ることができた。今回の[ナガコが見た!ミュージックビデオ日本史]は、企画当初、私視点の体験談ではなく、年表中心に事実を俯瞰で列記するような書籍を作ろうと目論んでいたのだが、扱わなければならないトピックスが多すぎてなかなか整理しきれない。なにしろMVは、音楽産業の売り上げ推移や映像制作機器の変遷、テレビからPC・スマートフォンへ移行したインフラ事情などなど、多岐にわたる時代背景の影響を受けてきた。また、私の視点は映像制作者サイドに偏りすぎていて、MVの権利を所有するレコード会社やミュージシャンへの配慮を欠いている懸念もある。関係各位と事実関係を公正に擦り合わせるとなると、膨大な時間が必要となる。ならば、ひとまずは私視点の記憶や経験談をここにまとめさせていただき、いずれ書籍化する際の骨子としようと画策した次第だ。もとよりMV、プロモーション・ビデオ(PV)、ビデオクリップなどと呼ばれるこの音楽映像コンテンツは、端的に一言で定義できない複雑なコンテンツである。楽曲およびミュージシャンの販売促進ツール=「広告」であると同時に、視聴覚信号を巧みに紡いだ「作品」でもある。また、若手映像作家・ディレクターたちの実験の場、才気煥発ぶりをうかがえるキャンバスとしての価値をMVに見出す向きもある。実制作においては、レコード会社やミュージシャンの意向、キャリア、プロモーションプラン、楽曲のテーマ、話題性、予算、スケジュール、大人の事情などなど、様々な意図を汲み、ますます意義は複雑化する。そこに映像制作者のアイデアや現実的な判断も加わり、目的も趣も個々に異なる多様な映像成果物が有機的に誕生。それらが同じMVと呼ばれる土俵に点在している。カオスである。その差異もカオスもMVのチャームポイントである。いかなるニーズにも優劣はない。が、低予算で高品質を求められるうえに、詰め込み型のスケジュールを要請される制作環境は健全とはいえず、多くの制作者が疲弊した事実については手放しに許容しかねる。映像機器の低額化によって若手クリエイターたちが参入しやすくなり、秀逸なMV作品が数多く誕生する一方で、予算が底値を突き、クリエイターへの対価や人件費の概念が蔑ろにされる功罪も生まれた。そんなMVを私は常々「事情の産物」と呼んでいるのだが、肝心の事情について赤裸々に書くと全方位より怒られそうなので、さあ、どう書こうか。どこまで書こうか。次回以降は1980年から時系列で記す予定だが、トピックが多いので駆け足の説明に止めるのか。有限のコラムのスペースの中で、私がどんなトピックを選ぶのかも含めて、みなさま、本連載をどうか生暖かい目で見届けていただきたい。WRITER PROFILE ミュージックビデオ日本史]Vol.07 ミュージックビデオのその功罪〜「低予算・高品質」のジレンマ.

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