小出から会津若松まで、JR只見線の全線を乗車し、2019年の乗り納めとした。今回は、前日に会津若松入りし、磐越西線の列車に乗り、新潟経由で小出から只見線の列車に乗車。只見で代行バスに、会津川口で再び列車に乗り換え、会津若松に向かった。 今年は暖冬で、期待した雪景色は見られなかったが、地酒を呑みながら、ゆったりと只見線の旅を楽しんだ。*参考:・東日本旅客鉄道株式会社:「・NHK:新日本風土記「・産経新聞:「 今朝、磐越西線の下り列車に乗るために会津若松駅に向かう。3番ホームに行くと新潟行きの列車が停車していた。 列車の編成は5両で、来春から只見線に導入される車両 キハ110系に挟まれる形で、3号車と4号車がキハE120系になっていた。 JR東日本(東日本旅客鉄道㈱)は先月末に、只見線の復旧状況とともに、列車の置換えを発表していた。*下図出処:JR東日本「JR東日本が保有するキハE120系の全8両が只見線に導入される。福島県内の水郡線で入っているキハE130系の兄弟車だ。 2008年の後半に登場したキハE120系はステンレス製の車体で、もとは“飯豊連峰のブナ林をイメージ”したというカラーリングがされていた。紅葉時期を想定したものと思われる、橙と赤のラインが引かれ、扉は黄色だった。 来春、只見線に導入するにあたり、上掲の資料のように塗装し直された。現行のキハ40系東北地域本社(仙台支社)色とほぼ同じカラーリングだ。但し、全ての扉は何故か変更されず、黄色のままだ。 今のところ、5・6・7号車(E120-5・E120-6・E120-7)以外の5両はこの“只見線色”に塗り替えられている。 “只見線色”になったE120系は、現在、磐越西線の他、新潟と山形を結ぶ米坂線で運行されているという。肝心の只見線では、既にE120-1とE120-8が会津若松~会津川口間で試運転を行っている。 列車の内装は、初めて見る事になった。入口のステップは低く、高齢者や小さな子も乗り降りの負担は各段に減るだろうと思われた。また、車椅子の幅もあり、スロープを取り付ければ、介助者も容易な乗降が可能かと感じた。扉(側引戸)は外内とも黄色で、ステップとともに、ユニバーサルデザインとして注意喚起を促しているという。 優先席BOXシートと2席のロングシート。車椅子の設置スペースも設けられていた。 トイレもバリアフリー対応。 座席はセミクロスシートで、クロスシートは2席+1席のレイアウトで、ロングシートは片側の一部に設置されていた。但し、つり革がクロスシート部まで取り付けられ、通勤車両然としていて、 座席の下の暖房装置は、小型になりシート直下に取り付けられていた。 キハE120系は両運転台式で単行運行が可能で、ワンマン運転に対応できるよう、両側に運賃表示器、整理券発行器が置かれていた。 5:28、キハE120系2両を挟んだ新潟行きの列車が会津若松を出発。 乗り心地はどんなものかと思ったが、列車はディーゼルエンジンの出力を上げ、体感的には100km/hに迫るスピードで走ったため、只見線を走った場合の疑似体験とはいかなかった。また、この列車を牽引するキハ110系は“電車並みの加速性能”があると言われ、この点も列車置換え後を想像する参考にはならなかった。 8:21、列車には津川以降、多くの通勤・通学客の乗り込みがあり、私の乗る3号車も混雑し乗車率70%程で終点の新潟に到着した。キハE120系は、高架化された新潟駅に必要な自動列車停止装置であるATS-Pが装備されていない事もあり、2018年3月のダイヤ改正を機にキハ110系との併結運転でなければ乗り入れができなくなったという。このため、キハE120系は新潟地区から“引退”する。JR東日本の最新の気動車はGV-E400だが、只見線はこのキハE120系を受け入れる事になる。*参考:JR東日本「 新潟から車両基地のある新津に移動すると、私が乗車したキハE120系が引き込み線に停車し、キハ110系から切り離され車庫に入ろうとしていた。 ちょうどキハ40系国鉄急行色が車両基地に移動するところで、キハE120系と並ぶ瞬間をとらえることができた。このキハ40系国鉄急行色は只見線(小出~只見間)に臨時列車で乗り入れる事が多く、この光景は2021年度の全線再開通後に見られるかもしれない。 来春、只見線でこの雄姿が見られる。私はただ、現状は走行する事が決まっているので、せめて黄色の扉は塗装を落とすべきだと思う。この黄色の扉はユニバーサルデザイン対応ということだが、最新のGV-E400の扉が黄色でない事を見ると、その必要性は無いということになる。最低でも外側だけでも、来春の運行までには塗り直す事を願いたい。 キハE120系の乗車と見学を終え、只見線の旅に向かう。 新津から長岡で乗換え、冷たい雨が降る小出に到着。只見行きの列車、キハ40系新潟支社色(青)2両編成は既に入線していた。13:11、只見行きの列車が 車内は全てのBOXに誰かしらの客の姿が見られ、混雑していた。「青春18きっぷ」の使用期間中ということもあり、高校生や学生と思われる若い客が目立った。この列車に乗ると、東京圏~只見線~(郡山)~東京圏を日帰りで普通列車で巡る旅が可能になる。 列車は小出を出た直後に魚野川を 外はかなり冷え込んできていたが、しばらく雪にはならず雨が降り続いた。 車内では長岡駅ビル「ぽんしゅ館」で手に入れた爽やかな飲み口、喉を通った後は香りだけが残り、甘ったるさを感じない旨さだった。純米酒のワンカップの必要性を、改めて感じさせてくれた“一杯”だった。 列車は、 破間川の浅瀬と並行して走るようになると、列車は減速した。 13:57、新潟県側の最後の駅である大白川と次駅・只見の間、“会越国境区間”は20.8kmもある。この駅間は在来線で全国7位、本州に限れば岩手県・山田線の上米内~区界間の25.7kmに次ぐ第2位となる。*ちなみに在来線の全国1位は北海道・石北本線の上川~白滝間の37.3kmとなっている。また、大白川~只見間は並行する区間の国道252号線が冬期通行止めとなっているため、只見線が唯一の交通手段になっている。*参考:新潟県土木部「 大白川を出ると破間川と別れ、列車は支流の末沢川と短い間隔で16回交わりながら進んでいった。登坂のため、ディーゼルエンジンの重低音が車内に響き続けた。標高が上がり、内外の気温差が大きくなるにつれて窓の曇りが増し、車窓越しに写真を撮るのが難しくなった。 吹雪いてはいなかったが、周囲の山々は霞み、降る雪もハッキリと見えるようになってきた。 14:08、“会越の国境”となる六十里越トンネルに入った。 「六十里越トンネル」(6,359m)は“只見線最大の難所”として1970(昭和45)年9月、最後に工事を終えた。1971年8月、トンネルの供用開始とともに只見線が全線開通した。新潟ー福島の県境は、トンネルのほぼ中間にある。 約9分後に六十里越トンネルを潜り抜け、只見沢を渡った。一面がうっすらと雪化粧していた。 国道252号線(通行止め中)の架道橋を潜ると、田子倉ダム湖が見えた。水位は10m以上下がって、只見沢の川床と湖岸が顕わになっていた。 田子倉駅跡を覆うスノーシェッドを抜け、余韻沢橋梁から田子倉ダム湖の中心部を見ようとするが、霞んで見えなかった。前述の通り、降雪期、このあたりは“立ち入り不可”区域になっていて、列車の乗客以外は人が居ないという全国でも稀な場所だ。*参考:しかも、この地域は「 田子倉トンネル、第二と第一の赤沢トンネル、複数のスノーシェッドを潜り抜けると只見町が姿を現した。 列車は減速し、駅員一人が出迎える駅に滑り込んだ。 14:28、 列車を降りた客の大半は駅頭に付けられた代行バスに乗り込んだ。補助席を入れて、客席数28の車内は埋まった。 14:34、会津川口行きの代行バスは、定刻をわずかに遅れて出発。 代行バスは国道252号線を進み、 15:22、 会津若松行きの列車、キハ40系東北地域本社(仙台支社)色2両編成は既にホームに入線していた。 只見線を象徴するようになったこの列車が、来春からキハE120系に置き換えられるということもあって、カメラを構える客が多かった。 15:27、会津若松行きの列車が出発。車内は、代行バスからの乗り継ぎ客が加わり、新潟県側より賑わっていた。インバウンドの姿も目立っていた。残念ながら、後部車両はロングシートだったが、こちらも、客に埋められていた。 会津川口を出た直後、左(西)側に見える大志集落も霞んでいた。 福島県側の車内では呑み慣れている酒なので、落ち着いた。本醸造ながら嫌な甘さが無い旨さは、変わらずだった。 宮下ダム湖と 会津西方を出て、スピードをさほど上げないまま名入トンネルに入ると、『まもなく第一只見川橋梁を渡ります。景色をお楽しみください』と車掌による社内放送があった。 そして、トンネルを抜けると、ゆっくりと 速度が遅かった事もあり、上流(南)側の駒啼瀬峠の渓谷に続き、反対側の日向倉山(605.4m)の景色も見る事ができた。 列車は、その境となる七折峠の下り坂の途上から、会津坂下町の市街地越しに会津盆地が見通せた。 坂を下りきると大きく左にカーブし、短い田園区間に入った。前方にある磐梯山には中腹から上に雲が掛かっていた。 列車は 17:20、定刻をわずかに遅れて、ここでも、列車を撮影する方が多く見られた。 会津若松では途中下車して夕食を摂る事にした。まず向かったのが「気を取り直して、駅の並びにある「ここは二度目。ラーメンは背脂入りで適度にこってりして、このスープが中太ちぢれ麺に絡まりよく味わえた。ソースカツ丼は、柔らかい薄めの肉がカラッと揚がり、白米の上に敷かれたシャキシャキキャベツとの相性は抜群だった。 食事を終え、磐越西線の郡山行きの列車が入線するホームに向かう。まもなく、郡山からやってきた下り列車が向こうのホームにやってきて、多くの客が降りた。大きな荷物を抱える方が多く、帰省ラッシュが始まった事を実感した。 今日は沿線の雪が少なく、少し肩透かしだったが、キハ40系のディーゼルエンジンの音色を包まれながら、ゆったりとした気分で列車旅を満喫することができた。会越それぞれのワンカップも旨かった。 今年、只見線の列車に乗るのは12回となった。4月から職場が双葉郡富岡町となった関係で、昨年より乗車回数は減ってしまったが、四季それぞれに乗車することができ、只見線の列車の車窓からの景色と沿線の見どころを楽しめた。 来年は春に車両の置換えという、 今年も、お世話になりましたJR只見線。 (了) ・ ・ ・ ・ ・ ・*参考:福島県 「*参考:政府 インターネットテレビ「 福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。・福島県ホームページ:寄付金の使途は以下の通り。・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「 以上、宜しくお願い申し上げます。東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2021年度中の全線再開通に向けて工事が着々と進められています。HP内のブログでは、福島県側の車窓の風景や沿線の見どころを中心に、「乗車記」や利活用事業に対する私見等を掲載します。
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