少年の日の思い出 エーミール 悪い

少年の日の思い出でディペートをします論題は僕とエーミールのどっちが悪いかで僕はエーミールが悪い側につきました自分で教科書できるだけ見直したんですけどわかりませんエーミールが悪い理由を教えてください! ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』の意味がわからないという人は多い。あえて、意味がわからないものを教科書に載せているのだからそれでいい。「この作品をこう読みなさい」という教師がいれば、それは残念な教師だ。だから、中学生の諸氏も、大人になった皆さんも、残念な教師には「つまり君はそういうやつなんだな」と思っておけばよろしい。もちろん、口には出さないように。  読み方は自由だが、考える方針というものはある。これがすべてではないが、作品を文字の羅列だと思ってしまうと、とてもつまらないものになるし、中学校にあがって勉強が難しくなりはじめるころだから、この作品への姿勢で今後の国語の取り組み方が変わってくるようにも思う。教員の顔色をうかがうことも結構だが、まずは作品を味わうにはどうすればいいか、どこが教科書に載るような要素を持っているのかを知っておこう。 学生に感想文を書かせると、まずもってエーミールがいけ好かない奴だとか、僕がかわいそうだというものになる。これは、確かにそのような感想を持った生徒がいる一方、教員のよろこぶようなことを書こうとする生徒もいるのである。どうすれば道徳的、社会的に正しいかを察知する能力、打算的に生きる力は、大人になればなるほど自然高まる。だから、状況に応じて本心を隠し、通信簿の成績を上げるようなことを書くことは大人になった成長の証でもあり、悪いことではない。学生のみんなもおおいに様子をうかがうとよい。 ただし、この作品は大人になって読めば、作品の主人公の僕が述懐しているのであって、主人公寄りの書かれ方がされていることに気がつくわけです。清く、正しく生きている者に対して、僕はただの不法侵入者であり、泥棒です。はじめから最後まで、エーミールが優秀で気に入らないことをつらつらと書き続けていますが、泥棒に比べればどれもたいしたことではないですし、欠点として挙げられている様々な要素も、結局のところエーミールの長所であって、僕にはないものなわけです。盗人猛々しいとはまさにこのこと。 償いとしてオモチャやコレクションをを提供すると申し出ますが、僕の蝶(蛾)の扱い方が知れたとして、そんな三級品はいらないとエーミールは突っぱねるわけです。それで、僕は自分のコレクションを粉々に潰して作品は結ばれます。この部分は、なんとも僕がかわいそうに描かれていて、多くの方が一度は同情する場面です。しかしながら、よくよく考えてみますと、壊されたクジャクヤママユを無理とわかって必死に直そうとするエーミールに対して、壊れてもいないものを、捕まえ、殺し、標本にした蝶を、泥棒した思い出を忘れるために(趣味と決別するために)潰した僕の存在は、どこまでも自己中心的で、そのコレクションへの情熱も一時の感情で捨てられる程度のものだったといえるのです。これに気づいて、感想が僕寄りからエーミール寄りへと移ったとき、読者の世界観がガラリと変わります。同時にゾッとするといいますか、自分が見ているものが必ずしも正しいとは思えなくなる。または、自分が大人になってしまったことを様々な部分で実感するのです。ヘッセの作品はほかにもたくさんあり、小説としておもしろいものも多いのですが、なぜわざわざこんな二線級の作品が教科書に載っているかといえば、それはやはり、書かれていない視点に気づけるかということ。相手のきもちを察する、教員の顔色をうかがうのもそうですが、そういった能力がどれくらいあるのか、もしくは育てるために載せてあるのです。子どもと大人の中間にいる中学生くらいが読んでおくに相応しい作品だと思います。 ヘッセがこの作品に潜ませたのは、僕の視点で語られ、エーミールという視点に気づかない限り見えてこない世界ともうひとつ。悪い人間というのは、常に自分に有利なように物事を解釈するという、目の前にいればぶん殴ってやりたくなるような僕の存在です。日本では少ないですが、外国ではお年寄りや女性など、弱い立場の人からお金を奪う路上強盗が当たり前のようにあります。強盗犯はさぞ悪いことをしていると感じているかと思えば、そうではありません。「自分が盗らなくても、弱いやつらはどうせ誰かに盗られる。それなら、自分がもらってあげよう」などと考えるのです。日本でも、強盗まではいきませんが、傘を盗む輩というのがいますね。「どうせ誰かが盗っていくんだから」「自分が濡れない方が世の中のためになる、傘もよろこぶ」などと勝手な理屈をつけるものなんですね。これは「自己肯定」といいます。自己肯定する力が乏しいと自分に自信が持てないのですが、僕のように犯罪をおかしておいてなお、相手に非があるような考え方をするのは行き過ぎです。本作は、子どもには子どもにとっての後味の悪さ、大人には大人にとっての後味の悪さがあり、ヘッセの腕の冴えを感じます。  さて、感想文や意見発表会で楽をしようとこのページを読んだキミ。すでに何度も書いているように、教師の顔色をうかがうのは悪いことではないよ。私ははじめてこの作品に触れたときから、僕の嘘、自己肯定に気づいてしまって、それを隠すことができなかった。いたずら心も手伝って、「人のものを盗っておいて、被害者ぶってんじゃねえぞ」といったことを書いた。そうすれば教師たちはあぜんとするだろうと思ったから。ただ、ちょっと混乱させてやろうと思って書いた感想文が大問題になる。しこたま教員に怒られたし、バカだ、病院にかかるべきではないかとなじられた(なにがそこまで気に入らなかったのかいまだにわからない)。今ならそんな国語教師は教育委員会に殴り込み、吊るし上げ、教職を解かれているかもしれない。でも、昭和の時代はそんなのが許されたんだな。 そんなバカで病院に行けといわれた自分でも、大学入試で国語の成績は上位5%以内だったから、同様の感想を持ってしまったキミも心配はいらない。ただ、ちょっと世間と違った、正義に燃えるヒーローを気取るなら、先生に目をつけられる覚悟は必要だよ、ということだ。先輩としてのアドバイスである。 悲しいこの記事へのトラックバックはありません。

1: 19/08/20(火)12:11:03 ID:7iC 悪いのは宝物壊したぼくくんなのに 2: 19/08/20(火)12:11:25 ID:PPb そうか つまり君はそんなやつだったんだな

やがて少年達が成長したある日のこと。 エーミールがレアな蛾であるクジャクヤママユの羽化に成功したらしいと聞いた僕は彼の家を訪ねるも留守。 「一目見るだけ」と忍び込んだ僕だったが件の蛾の美しさに惹かれ、思わずそれを盗んでしまう。 中学部1年三学期の国語科では、「少年の日の思い出」という、ドイツ人作家へルマン・ヘッセの作品を学習しました。このお話は主人公の少年「僕」の視点でお話が進んで行きますが、主人公(僕)以外の視点になって物語を自分で作ってみよ… 「ぼく」に対し、エーミールに謝りに行くよう促した。 書籍 Jugendgedenken (少年の日の思い出) 高橋健二訳 ヘッセ全集 2 (車輪の下) (新潮社、1982)ISBN 978-4106812026; 岡田朝雄訳 少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集 (草思社、2010) ISBN 978-4794217912 5 単元名 小説「少年の日の思い出」(ヘルマン・ヘッセ/高橋健二:訳) あまり、見せびらかすようなことはしなかった主人公の僕ですが、そのときばかりは僕も誰かにこの事を自慢したくなりました。そしてそこで、同級生のエーミールにこむらさきを見せるのでした。 ここでかの有名なエーミールの登場です。近所に住んでいたエーミールも標本作成を趣味にしていて、標本の展翅や修復の技術は素晴らしかったのです。エーミールは そんなエーミールなら、珍しいコムラサキをほめてくれるだろうと思っていました。エーミールは、コムラサキの希少価値こそは認めたものの、展翅の甘さや脚の欠損などを指摘してきました。そして最後にせいぜい20ペニヒ程度、日本円にして1400円ぐらいの価値しかないと酷い評価をしてきました。 そんな言い方しなくても…読んだ時にほんとムカつくやつだなって思いました(笑)だって普通、凄いねって褒めてあげませんか?でも、エーミールは正論武装して、痛いところを着実に付いてくるんです。そういう奴なんです。 さてまあ、そんな事があってから主人公の僕もエーミールのことを嫌悪するようになりました。 その後も僕はどんどん昆虫最終に没頭していきました。 そんな中、ある日エーミールが超希少なクジャクヤママユの繭を羽化させたというのを耳にしました。クジャクヤママユはヨーロッパに生息する蝶で翅を広げた時の大きさが、9センチにもなる大型の蝶です。クジャクヤママユは非常に大きく迫力のある蝶でした。エーミールに嫌悪感こそ抱いていたものの、この時ばかりはクジャクヤママユを一目見たいという思いのほうが勝っていました。エーミールが見せてくれるのを待ちきれなかった僕は、エーミールの家が留守の時ににこっそり忍び込んでしまいます。そこで、まだ展翅板の上に固定され乾燥させている最中だったクジャクヤママユを見つけます。そして部屋から出ると近づく足音に気づき、標本をポケットに隠しそこを後にしました。 ポケットに隠した標本を取り出すと、なんと潰れて壊れてしまっていました。 僕は絶望し罪の意識にさいなまれ、この事を母に話します。僕は標本を持ってエーミールの所へ謝りに行きました。そして僕は自分の持っている標本やおもちゃをすべて譲ることを代償に謝りました。 すると彼は、怒鳴ることはなくひとつ舌打ちをしてひとこと、と痛烈に批判しました。 そして、家に帰った僕は自分の標本を指でひとつひとつ粉々にしてしまいました。 僕のやった事は決して許されることではないですが、ほんとエーミールは恐ろしい奴です。絶対に友達になれないタイプです(笑)悪いことはしちゃいけない、そしてやってしまったことは決して取り返しはできないという事を深く深く知ることになりました。 最後の主人公の行動からしてどれだけダメージを負ったかを感じさせられます。授業の後も時々クラスで誰かが悪いことをした時に、ネタでこのセリフを言ってました。エーミールは国語の教科書の登場人物の中では一際ヤバいやつです。でも、本気でこんなこと言われたら心が折れますよね。 大人になって、またこの小説について授業を受けてみたら当時とは違った意見がたくさん出てきて、面白いだろうなって思います。世の中許してくれないことも多いので、皆さんはくれぐれも悪い事だけはしないようにしなきゃですね。とはいえ現実には中々エーミールほど悪いというか非道な人はいないので安心してください笑 少年の日の思い出は、教科書に載っているのが全文であれで完結しているお話です。元々はヘッセ全集に、収録されている短編小説のひとつです。ヘルマン・ヘッセの作品には他にも面白いものが沢山あります。 特におすすめは車輪の下です。良かったらぜひ読んでみてください。 最後に物語に出てくる蝶を紹介して締めくくりたいと思います。こちらが物語の中心となる、エーミールの蝶ヤママユガです。非常に大きい蛾の1種です。珍しい蝶のようですね。そしてこちらは、ぼくがエーミールに自慢したコムラサキです。翅の鱗粉は構造色となっていて光の当たる角度などによって色が変わって見える非常に美しい蝶です。なんだか、ヤママユガより、こっちのコムラサキの方が素敵な気がしますが…ぼくが蝶の美しさの虜になるのもわかる気がしますね!

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