地下鉄呉服町駅を出てすぐのところに面白い古地図が展示されています。 ▲ 場所はこのあたり。▲ 的野ビルというテナントビルの前にあります。▲ このような形で展示されています。▲ こちらの古地図。(→「博多古図」と言われる鎌倉時代あたりの福岡市周辺の様子を描いた地図です。こちらの地図では北が下側に描かれていますので上下をひっくり返して見てみるとわかりやすいです。▲ 北を上にしてみました。(→▲ 「博多古図」で表示されている範囲は現在の地図で言うと おおよそこれぐらいの範囲。▲ まず、もっとも特徴的なのが天神〜住吉あたりまでが全て湾になっている点です。▲ 現在の地図で言うと、このような感じです。▲ 北側の、現在の「須崎」にあたる部分はまさに「州」「崎」という形になっていることがよくわかります。博多の町は既にこの時代から形ができあがっていたのですね。湾内の住吉周辺にポコッと突き出た半島のようになっている部分が住吉神社です。そしてその下にある島、こちらが「蓑島(みのしま)」と書かれています。つまり、現在の「美野島」ですね。「美野島」が本当に島だったとは驚きです。▲ 半島になっていて山のように描かれている部分は警固や平尾など現在でも ある程度高い場所にある土地ですので、以前はこのような地形になっていたということも納得できます。▲ そして、この部分。こちらが現在の大濠公園の堀にあたるものです。▲ 堀(湾)の大きさは現在と比較にならないほど大きなもので、一説によると西は城南区の田島のあたりまで、南は城南区の島廻橋あたりまで広がっていたと言われています。そのため、城南区周辺には海を連想させる地名が多いのだそうです。「田島」はまさにそのまま、島だったと言われています。そして「島廻橋」も「島」を「廻」らせる「橋」があったのではないかと連想させますね。「荒江」や「片江」など「江」がつく地名も海っぽいです。現在ではまったく海っぽさはありませんが、地名にちゃんと残っている点がとてもおもしろいですね。その後、数百年をかけて徐々に埋め立てられていって、現在の形になったものと思われます。▲ 他にも現在と比較してみると、なるほど!と思える部分が結構あります。(→やはり古地図探訪は楽しいものです。ちなみに、この古地図が展示されている大博通りには古地図だけでなく「歴史の散歩道」と題して各所に様々な資料が展示されています。大変興味深い展示がたくさんありますので楽しいですよ。散歩ついでにいかがでしょうか。→ 2.1 江戸時代・昭和30年代の地図⇒古地図 with MapFan; 2.2 明治後期の地図⇒goo地図; 2.3 江戸・明治時代の地図アプリ⇒江戸明治東京重ね地図; 2.4 江戸時代の地図アプリ⇒大江戸今昔めぐり; 3 世界主要都市. 【参考資料】The world is a book and those who ▲ 古地図を見てみると、この道は江戸時代からず〜っと変わっていないんです。(※地図は「なぜこんな不便な道筋にしたのでしょうか??実はこれはお城の防衛のために重要な設備なのです。▲ 道筋が直角になっていると、攻めてきた敵は先が見通せません。ですので、道が曲がった先で待ち構え、敵が角に侵入してきたところを攻撃することができます。そのためにあえて道筋を直角にしているのです。▲ 同じような道筋がここにもあります。▲ 一度、お侍になったつもりでストリートビューを歩いてみて下さい。曲がった先に敵がいるのではないかとドキドキしますね。▲ ちなみに僕が今日行く会社はこの場所。お城南側を固める侍屋敷があったようです。▲ たしかにこの辺りはとても雰囲気のある家が多く、侍屋敷っぽい気もします。もしかしたら お侍のご氏族の方がそのまま住まれているのかもしれません。▲ ちょうど訪問先の事務所にあたる部分は「四宮万助」というお侍が住んでいたようです。▲ 福岡藩の分限帳を調べてみると「四宮万七」となっていました。(※「「四宮万助」の息子か、もしくは別名かと思われます。石高は210石ですので、結構裕福です。年収でいうと1500万円程度でしょうか。「馬廻組」というのは万七が属していた組織です。会社でいうと部署のようなものです。馬廻組というのはその名の通り、馬に関連する仕事をするところです。▲ 万七の屋敷の西側、現在の護国神社境内に馬小屋があり、その横には馬場がありましたので、万七はこの場所に通っていたものと思われます。▲ 万七の通勤路はこんな感じだったのでしょう。現在アンティークショップや「青山」という喫茶店がある道筋を毎日通っていたと思われます。そんなことを考えながら今度ここを歩いてみるとおもしろいかもしれません。ーーーーみたいなことを調べて訪問先で話すとけっこう喜ばれますので、みなさんも試してみて下さいね。
八幡市地図: 大日本職業別明細図 若松市: 最新 北九州工業地図: 福岡市及付近近実測図: 大正8年 木村好兵衛: 昭和5年 東京交通社: 大正9年 駸々堂旅行案内部: 大正9年 博文社書店 ¥1,200 ¥1,200 ¥1,200 ¥1,200 福岡市街地図 昭和10年 松屋百貨店 福岡県の近世絵図. なぜ けやき通りを選んだかというと、今日けやき通りにある会社を訪問するため、ネタになればいいなぁと思ったからです。▲ けやき通りはこの場所です。▲ 江戸時代末、1800年頃の古地図でいうとこのあたり。どの道筋がけやき通りかわかりますか??▲ 答えはこちら。細い川と細い道が並走して走る筋だったのですね。この川が昭和23年に福岡で開催された国体の時に埋め立てられ、現在の形になりました。なので、けやき通りと呼ばれはじめたのは最近の事です。▲ しかも、江戸期は途中で大きく南側にそれていて、現在の筑紫女学園方面に行く道と並走していたようです。なので、この頃はけやき通りの道筋は途中までしかなかったのですね。▲ そして、古地図を見ていて目を引くのが、けやき通り北側の巨大なお堀の存在。道幅などと比べてみると、いかに巨大なものであったかわかると思います。▲ 現在の地図で見るとこのような感じです。お堀の中にすっぽりと学校や図書館、市民センター、体育館など公的機関がおさまります。こういうのを見ると、お堀を埋め立てて公的機関に活用したのだなぁというのがよくわかっておもしろいです。そして、この辺りには不思議な道筋がいくつかあります。▲ 例えばこちら。直角にカーブしていてなんだか変ですね。▲ ストリートビューで見るとこんな感じです。 福岡県 中村学園大学・中村学園大学短期大学部公式サイト。中村学園では人間教育、社会性教育、教養教育、専門教育を有機的に連携させ、「学生満足度」の高い教育に努めております。卒業生は管理栄養士、小学校・幼稚園教諭、商社、公務員等、多岐の企業で活躍しています。 【参考文献リスト】The world is a book and those who 江戸時代末、1800年頃の古地図でいうとこのあたり。 どの道筋がけやき通りかわかりますか?? 答えはこちら。 細い川と細い道が並走して走る筋だったのですね。 この川が昭和23年に福岡で開催された国体の時に埋め立てられ、現在の形になりました。 この古地図 with MapFanでは、MapFanAPIの最新地図と、タイムワープMAP・東京制作委員会の製作された東京オリンピック前の東京ならびに江戸時代の古地図を同時表示し、東京の移り変わりを比較することを可能としています。 福岡市中央区の赤坂にある おしゃれな通り、けやき通り。今日はけやき通り周辺に関して古地図をみながら調べてみます。 3.1 16世紀以降の地図アプリ⇒こちずぶらり 当館が所蔵する、江戸時代の福岡・博多に関する絵図を掲載していま す。 ※原史料保護のため、一般公開はしておりません。 ※画像の無断使用は禁じます。 福岡県立図書館ふくおか資料室 こちらの古地図。(→拡大して確認する) 「博多古図」と言われる鎌倉時代あたりの福岡市周辺の様子を描いた地図です。 こちらの地図では北が下側に描かれていますので上下をひっくり返して見てみるとわかりやすいです。 北を上にしてみました。 古地図のリンク集、平安から鎌倉、室町、江戸、明治と様々な地図を実寸形式で閲覧できます。国立公文書館、各地の県立/市立図書館、大学図書館、博物館のWEB地図サービスにリンクしています。
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