「不安」と上手く生きていくには。10代の頃や、バンドが一番しんどかったときの話 レディー・ガガは地球から引っ越したようだ。「地球はキャンセルされた。今、私はクロマティカに住んでいる」(2020年2月28日 Apple Musicで配信されたゼイン・ロウのインタビューより)。そう宣言したガガによる6thアルバム『Chromatica』は、ダンサブルな1990年代ハウスミュージックを志向したコンセプトアルバムである。「クロマティカ」とはなんなのか? 宇宙を舞台にしたようなリードシングル“Stupid Love”のミュージックビデオが解禁された頃から、多くのファンが「クロマティカとはピンク色の惑星のこと」だと推測した。しかしながら、当人いわく、クロマティカは架空の惑星ではないらしい。それどころか、ファンタジーでも、ディストピア、ユートピアでもないと念押ししている。むしろ、「今ここの現実にあるもので、誰でもその一員になれる」( 「クロマティカ」とは、レディー・ガガが「世界を見る視点」そのものなのだとApple Musicのインタビューで明かしている。このコンセプトは“Stupid Love”のミュージックビデオにも表れている。色鮮やかな衣装を身にまとう群衆のなか、激しく争っているのは赤色と青色のグループ。同じインタビューでガガが認めているように、これはアメリカの二大政党のイメージカラーそのままだ(赤色がトランプ政権の共和党、青色が民主党)。ただし、正統な作品設定としては、赤色の部族は「政府の役人」、青は「自由の闘士」と上述の『PAPER』の記事で説明されている。ほかに、緑色の「エコ戦士」や黄色の「サイバーキッズ」といった派閥があるようだ。そして、ガガ本人が所属するピンク色のグループは、思いやりをもって争いを鎮めるため闘う「カインドネス・パンクス(Kindness Punks)」。このモチーフは『Chromatica』の支柱と言える。いがみあうことをやめて愛を尊び、皆で幸せに踊り合う、そんな光景こそ彼女が望む世界なのだ。2016年大統領選挙レースにおける民主党ヒラリー・クリントン応援集会に立ちながら「トランプ支持者を憎んではならない」と演説したガガらしいコンセプトと言えるだろう。 「美しい日記のようなアルバムの創造に励んだ」(前述の『PAPER』インタビューより)と述べられている点にも注目したい。事実、『Chromatica』は、壮大でフィクショナルなビジュアルをとりながらも、キャリア随一と言っていいほどパーソナルでシリアスな内容なのだ。ガガ個人の「世界を見る視点」がコンセプトなのだから当然ではあるが、苦悩の種は世界情勢だけではない。プロデューサーに性暴行された過去とPTSD、音楽産業にて搾取されてきた経験、そして注目を欲する恋人との問題など、非常に個人的な痛みが描かれていく。「私の名前はアリスじゃないけれど ずっと探す 不思議の国を探し続ける」。これが三部構成をとる『Chromatica』の始まりの言葉だ。インストゥルメンタルのオープニングにつづいて旅路の始まりをしらせる“Alice”では、自らの絶叫によって目覚めつづけて憔悴するガガが「自由を授けてくれる音楽」を求めて終わる。ゆえに、4曲目に位置するアリアナ・グランデとのコラボ作“Rain On Me”は感動的だ。ここで2人は高らかに歌ってみせる。「苦しみの雨よ、どうぞ降って!」。そしてこう告げる。「できるなら濡れていたくないけど 生きてはいるから」。 ここでいう雨とは苦難を指す。つまり、この歌は、壮絶な苦しみを受け止めながら前に進もうとする勇気の表明なのだ。次に待ち受ける“Free Woman”は、葛藤しながらも自尊心と自らの音楽を手中におさめてみせるフェミニズムソング。まるで栄光の終焉と言うべき音楽だが、ガガの闘いは終わらない。第二部の始まり位置するトラックは“911”。救急車を呼ぶ緊急電話番号が題されたこの曲では、抗精神病薬に依存する情景が描かれていく。この後は恋愛における問題の描写がつづくが、「私はあなたのプラスチックのお人形じゃない」と主張する“Plastic Doll”に関しては、女性アーティストをモノのように扱う音楽産業への批判も感じとれる。「見かけによらず私は酸っぱい」とアピールするBLACKPINKとのコラボレーション“Sour Candy”は単独で聴くと定番のセクシーソングに聴こえるが、その前後に苦悶のトラックが配置されている流れを汲んでみれば、恋人が離れゆく不穏さをかもしだす仕組みになっている。 つまるところ、『Chromatica』は本当に日記のようなアルバムだ。ようやく苦痛を乗り越えたと思ったら、すぐに喪失と痛みがやってくる。“Rain On Me”にならって言うなら、生きてさえいれば雨には降られる。それでも、ガガは愛を希求し、音楽をもって「思いやり」を突きつけていく。パワーの根源には、ガガ自身がダンスミュージックに救われたことがあるかもしれない。6thアルバムプロジェクトのためにスタジオ入りしたころ、ひどくダークな状態にあった彼女はポップミュージックを作る気などなかったという。しかしながら、シリアスな詞をいざ歌ってみると、紡がれたのは幸福な音色だった。これに驚いたガガは『Chromatica』を「痛みをポジティビティに捉え直す機会であり展望」と定義し、己のみならず人々を幸福にする為の「カインドネス・パンクス」な音楽を創りだしていった。エグゼクティブプロデューサーをつとめたBloodPopは振り返る。「何があろうと、夜の9時とか10時頃までガガは踊って笑っていた。(製作陣は)ダンスミュージックに癒やされる人を間近で、リアルタイムで見ることができたんだ。だから、何をすべきかはすぐにわかった」(「カインドネス・パンクス」の闘争はまだ終わっていない。アルバムリリースから2週間ほど経った2020年6月前半期、つまりは宣伝活動に明け暮れているはずの時期、ガガはフォロワー4200万人にも及ぶInstagramアカウントを人に預けた。ジョージ・フロイドの死によってBlack Lives Matter運動が歴史的規模で展開される情勢下、アクティビストの人々に発信プラットフォームを明け渡したのだ(2020年6月12日現在、ハイライト機能にて回覧可能)。 新型コロナウイルス危機によってセレモニーがキャンセルされた学生たちのためにYouTubeが開催したバーチャル卒業式『Dear Class of 2020』におけるスピーチも、同運動の影響を受けて書き直したという。そこでガガは、構造的人種差別が根を張る社会を「森」に例え、聞き手たる若者たちのことは未来を変えうる「種」とした。そして奨励したのはもちろん、「カインドネスを持つこと」だ。思いやりを欠くことをしてしまっても、人は困難を乗り越えて優しくなれる。そう語ったガガは、「他の人々の意見に耳を傾けなければ学ぶことはできない」として、祝福とともに演説を終えた。まさしく「クロマティカ」で描いた精神の体現と言えるだろう(スピーチ全文は ところで、『Chromatica』におけるガガはなぜ「カインドネス・パンクス」なのだろう。一般的な倫理とされる「思いやり」という言葉とパンクは、どうも噛み合わせが悪いのではないか。しかしながら、こう受け止めることもできる。混沌と衝突、そして長きにわたる複雑な絡み合いが一気に顕在化する今、堂々と「思いやり」をもって世界に立ち向かうことこそオルタナティブなのだ、と。あなたは、ガガの姿勢を「理想主義がすぎる」と思うだろうか。それとも、もうすでに、愛のために闘って踊る「クロマティカ」の一員だろうか。2020年5月29日(金)発売1.
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