キリスト 復活 聖書

今回は実在の人物としてのイエス・キリストの生涯と、伝承される奇跡と復活の可能性についてご紹介します。目次イエス・キリストは紀元前6年から紀元後4年頃に活躍した宗教家です。キリスト教においては「神の子が人間の姿で現れた存在」であるとされており、これまで多くの人々の信仰の対象になってきました。新約聖書の「福音書」にその存在についての記述があり、キリスト教発足のきっかけになった人物であるとされています。この記事では宗教上の伝承よりも、実在した人間としてのイエス・キリストをメインに記述していきます。 イエスという名前は当時は特に珍しくもなく、ジャックや太郎のようにありふれた名前でした。また、キリストという言葉には「真人(救世主)」という意味があるため、キリスト教では彼を「イエス・キリスト」と呼ぶようになったのです。イエス・キリストという名前自体はキリスト教におけるイエスの呼び方であり、宗教観を覗いた歴史上の人物としてのイエスは「ナザレのイエス」と呼ばれています。ナザレとはイスラエルに位置する都市の名前で、ナザレのイエスには「ナザレ生まれのイエス」という意味がありました。当時は姓という概念がなく、名前と出身地を名乗るのが一般的だったのです。 日本ではイエス・キリストは白人といういうイメージを持っている人が多いです。これは西洋美術においてイエス・キリストが白人に近い特徴で描かれるためです。また、海外でも同じようにイエス・キリストを白人と考える人が少なくありません。しかし、「パウロの手紙」などの書物からイエス・キリストはユダヤ人だったことがわかっています。つまりイエスは白人ではなく、ヨーロッパ系、イラン系、アラビア系の「コーカソイド」だったのです。また、国籍という概念ではイエスはイスラエル人でしたが、当時のイスラエルはローマ帝国に支配されている複雑な状況でした。 ユダヤ人であることからイエス・キリストは西洋美術で描かれるような白人の姿をしていないことがわかります。それでは実在のイエスは一体どのような姿をしていたのでしょうか?当時の風習から考えてイエス・キリストの髪は短髪で、絵画では長く描かれる髭もずっと短かったと考えられます。ローマ支配下の国においては髭は剃るのが一般的で、哲学者などの威厳を必要とする人物でも髭を伸ばしてはいませんでした。また、顔つきは現在のアラブ人に近かったと考えられており、瞳の色も青ではなかったといわれています。さらに美術作品でイエス・キリストが必ず身に着けている裾の長い服装も当時は上流階級しか着ることはできませんでした。引き締まった筋骨隆々の姿も「イエス・キリストは完全な肉体を持つ」という信仰上の概念であり、実際のイエスはもっと貧相な身体をしていたと予想されます。 実在の人物としてのイエスの出自については記された文献がほとんど残されていないため、詳しくはわかっていません。イエスについて残された文献のほとんどが、信仰上の崇拝対象として記されているからです。聖書ではイエス・キリストは聖母マリアが処女でありながらその身に宿した「神の子」であるとしています。しかし、イエスが実際に存在した人物であれば、そのようなことは生物学上起こり得るはずがありません。そのためマリアの婚約者でイエスの義父である「ナザレのヨセフ」が彼の父親だったのではないかといわれています。新約聖書においてヨセフは聖母マリアの婚約者であり、義理の父親としてイエス・キリストを育てたとされています。彼の職業は大工だったと伝承されていますが、王家であるダビデ家の血を引いていたといわれています。また、新約聖書によればイエス・キリストも王家の血筋であるとされていますが、信仰上の伝承ではイエスは人間の子ではない(ダビデ家の者ではない)という矛盾が生じてしまいます。ダビデ王は救国の英雄であり、当時の伝承ではダビデの血を引くものからメシア(救世主)が現れるといわれていました。そのため初期のキリスト教徒たちがイエス・キリストはダビデ家の血筋であるという逸話を創り出したのではないかと考えられています。余談ですが「マルコの福音書十二章」の中でイエスは、自身は神の子ではなく「人間の子」であると語っています。また、「メシアがダビデ家の血筋であるはずがない」とも発言しています。イエスは一度も自分がメシアであるとは言っていないのです。 日本の新約聖書学者である荒井献氏は著書の中で、イエスの宣教活動は現在持たれているイメージとはかけ離れていた可能性を指摘しています。イエス・キリストに洗礼を与えたとされる洗礼者ヨハネは禁欲生活を推奨し、自身は少量のイナゴを食物にしながら不毛の荒野で生活をしていました。これに対してイエスは断食を推奨することは無く、文明生活の中で奔放に生活していたのです。また、イエスは結婚を否定することはありませんでした。そのためイエスは禁欲主義者ではなかったのではないかと考えられています。イエスは12歳にして旧約聖書を理解するほど聡明な人物でしたが、決して模範となる信仰者ではなかった可能性があるのです。しかし、イエスはヨハネの教えをさらに追及することで、文明人として暮らしながら実践する信仰を生み出したと評価する研究者もいます。その後、イエスは自身の解釈のもと禁欲主義から抜け出した信仰を下流階級を中心に広めていくことになります。 イエス・キリストが信仰されるようになった大きな理由のひとつに彼が起こしたとされる奇跡の存在がありました。新約聖書によればイエスは数々の奇跡を起こすことで、自身がメシアであることを証明したというのです。イエスはたった5つのパンと2匹の魚を増やして5千人に食べさせ、またあるときは水瓶の水を酒に変えてしまいます。また、病人の治療も行っており、盲者の目を見えるようにしたり、喋れなかった者を話せるようにしたともいわれています。さらには悪霊に憑りつかれた者を清めたり、死んでしまった人間を甦らせたという伝承まで残っています。これらの奇跡はイエスの信者を増やし、彼をメシアたらしめました。イエス・キリストの奇跡については様々な学者によって研究されており、自然現象を誤って解釈したとする説やイエスに医学の心得があったとする説、初期のキリスト教徒の創作説などが考えられています。また、イエスは当時社会から隔離されていた障害者や精神病者に対しても平等に接していたため、彼らを治療した結果が奇跡として語られるようになったのではないかともいわれています。 意外なことにイエス・キリストはヨハネの洗礼を受けてから2年半ほどしか宣教活動をしていません。しかし、この短い期間でも彼に共感し、信仰を共にする弟子も数多く存在しました。その中でも有名なのがイエス・キリストの「12使徒」です。12使徒はイエスの弟子の中でも特に優れた12人の弟子たちでした。彼らはイエスから悪霊を払うなどの権限を与えられ、イエスと共に宣教活動に傾倒します。12使徒のほとんどは男性でしたが、唯一1人だけ女性の「マグダラのマリア」も含まれていました。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」には、イエスとこの12使徒が描かれています。 12使徒のひとりマグダラのマリアは女性でありながら、イエスの一番の教え子「筆頭弟子」であったといわれています。また、マグダラのマリアにはイエスの恋人(妻)だったという説も存在しています。そのためイエス・キリストには子孫がいたのではないかと考える研究者も少なくありません。このイエスの子孫を題材に「ダ・ヴィンチコード」という映画が作られ、世間を騒がせました。マグダラのマリアは「ルカによる福音書」の中に登場する「罪深き女性」と同一視されており、性に奔放であったと解釈されることがあるようです。そのためマグダラのマリアは娼婦だったと考えられることが多く、娼婦の守護聖人としても扱われています。西洋美術作品の中でもマグダラのマリアは娼婦として描かれることが多いですが、これはメシアであるイエスの妻として伝承することができなかったからだとする解釈もあります。イエスの結婚やその子どもについての文献は残されていないため、彼に子孫がいたかどうかを知る術はありません。しかし、美術作品にはそれを暗示する技法が数多く確認されていることからそれを信じる人は少なくないのです。イエス・キリストはそれまで伝統的だったユダヤ教の教えを批判し、もっと本質的な信仰が必要だとして「悔い改める信仰」を説きました。そのため、ユダヤ教関係者やそれによって利益を得ていた政府関係者から反逆者と判断されてしまいます。そして、イエスは国家転覆を狙うテロリストとして十字架刑に処されてしまうのです。この十字架刑は両手足を十字架に釘で打ち付けることで固定し、被刑者を窒息させるというものでした。また、刑を終える前には確実に対象を死に至らしめるために胸を槍で刺していたのです。イエスの逮捕は12使徒のひとり「イスカリオテのユダ」が手引きしたといわれており、現在でも「ユダ」という言葉は裏切りの代名詞になっています。 処刑されたイエス・キリストは弟子たちによって手厚く葬られました。しかし、新約聖書ではイエスは処刑から3日後に復活して40日間弟子たちと生活し、その後天に昇って行ったと伝承されています。イエスを実在の人物だと考えるのであれば、このようなことが起こるはずがありません。処刑の際、イエスの身には一体何が起こっていたのでしょうか?実は研究者たちはイエスは処刑では死んでおらず、生き延びていた可能性が高いと考えています。当時の十字架刑は48時間かけて執行されるのが一般的でした。しかし、処刑日がユダヤ教の安息日の前日であったため、安息日に死体を掲げることを嫌った執行人によってイエスの処刑は6時間しか経たずに終了されたのです。彼らは気絶したイエスを死んだと判断しました。また、槍による刺突も致命傷にならなかった可能性があります。「ニコデモ福音書」ではイエスの遺体から血と体液が流れ出ていた旨が記されています。しかし、遺体からは流血しないため、これがイエスが生きていた証拠なのではないかといわれています。このように考えるのであれば、イエス復活の奇跡を「処刑で気絶したイエスが3日後に目を覚ましたが、回復せずに40日後に亡くなった」と解釈することができるのです。 イエス・キリストの死後、残された弟子たちはユダヤ教の一派として身をひそめながら活動を続けました。そして、その後勃発したユダヤ戦争でユダヤ教のヘブライ派が力を無くすと、信者たちはイエスの教えを地中海全域に広げていきます。イエスの教えは誰にとっても平等であり、それまで迫害されていた障害者や精神病者に対しても救いの道を説いていました。そのため最も人口の多い下流階級の人々に受け入れられ、瞬く間に信者を増やしていったのです。こうしてイエスは救世主「イエス・キリスト」として崇められるようになりました。そして、現在も広く信仰される「キリスト教」が誕生したのです。 イエス・キリストの元になったナザレのイエスは今から2000年近く前の人物であり、彼に関しての資料は新約聖書以外ほとんど残されていません。また、イエスが起こしたとされている奇跡の中には自然現象の誤認や先駆的な医療技術だけでは説明できないものも存在しています。そのためイエス・キリストは初期のキリスト教関係者が信者を集めるために創り出した「空想の人物」なのではないかという説が存在します。また、イエス・キリストの伝承が神話の神に類似している点が多いことも、宗教学者がイエス創作説を唱えるきっかけになりました。しかし、現在ではイエス・キリストのモデルになったナザレのイエスは実在していたという考え方が一般的です。ユダヤ教などキリスト教と敵対する宗教地域においても、イエスの存在を認める伝承が存在するからです。また、実在したとされる人物の記録が残っていないのは、イエスに限った話ではありません。少なくとも既存の教えを独自に解釈し、当時迫害を受けていた人々にまで信仰を説いた人物は間違いなく存在しているのです。 出典参考: いかがでしたか?キリスト教のメシア、イエス・キリストについてご紹介しました。存在から2000年経過した今も世界中で信仰されるナザレのイエス。たった一人のイエスという人物が後世に与えた影響は計り知れず、そこに不思議と謎を感じてなりません。世界にはまだまだロマンが溢れています。次の記事 GIBEONGIBEON(ギベオン)は宇宙、地球、動物の不思議と謎を発信するミステリー情報メディアです。眠れない夜の暇つぶしにでもなれば幸いです。 © 2020 ギベオン – 宇宙・地球・動物の不思議と謎 All rights reserved.

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